少し前になるが、10月10日の土曜日、大阪教育大学の天王寺キャンパスで、一般の方々を対象とした講座で、日本語について講義する機会があった。
http://llc.osaka-kyoiku.ac.jp/course/detail/id/242
タイトルが「日本語を学ぼう」という、なんとも、大雑把すぎるものだったし、また、教室に入るまで、どんな参加者なのかもわからない、という状態のなか準備したので、どれぐらい理解していただけたか、あるいは満足していただけたかわからないけれども、授業後の感想では、日本語についてあらためて考えるいい機会になった、など、概ねよい反応だった。
ここ数年同じテーマでやっているのだが(対象者は毎回違うので)、マンネリ化するといけないので、「ネタ」を仕込むようにしている。
2013年は、「三代前からマーメード」(「あまちゃん」の劇中歌「潮騒のメロディ」の歌詞)の解釈についてだった。「あまちゃん」では、主人公のアキ、母親の春子、そして祖母の夏が登場し、夏が海女さん(マーメード)なのだが、いろいろあってアキも海女さんになった。それが歌詞の一節なのだが、本来、「三代前」というと、一代前が母親、二代前が祖母、そして三代前は曾祖母になるはず。でも、この歌詞を読んだら誰もが間違えることなく三代前は「夏」だと思う。それはなぜか、という話をした。これは基準となる自分自身(あき自身)を数えるかどうか、という問題で、日本語ではどちらの場合もある。
2014年は、「白鳳、豪栄道に土」というニュースの一節の曖昧性をとりあげた。これには「白鳳が豪栄道に土をつける(豪栄道が負ける)」という解釈と、「白鳳が豪栄道によって土がつく(白鳳が負ける)」という解釈がある。でも、ニュースになるのは、明らかに後者の解釈。
2015年の今年は、安倍首相の談話を音声学的(?)に斬ってみた。
「科学(かがく)」が「かあく」
「(戦後)70(ななじゅう)年」が「なあじゅうねん」
「(歴史がゆがめられることは、けっして、あっては)ならない」、「なあない」
って聞こえますよねー。(うんうん、と多くの人がうなずく)
同じ母音の音節が続いた場合に、母音にはさまれた子音が消えてるって考えることができますねえ。「なりません。」は、ちゃんと言えるみたいなんで。
って言ったところ、授業のあとの感想で、「私も、ずっとなんか変な感じがしてたんですが、今日、すっきりしました。」というのが続出。やはり、みんな気になっていたのですね。あ、まあ、単純すぎる分析ではありますが。
なお、このネタは、FBに投稿したところ、一部言語学者の間でものすごい盛り上がりを見せました。