2015年11月3日火曜日

今更ながら文法教育の必要性

 後期に担当している「日本語教育学 I 」は、初級学習者に対する教授法が主なテーマである。日本語教師が身につけていなければならない知識・技能の話をすると、決まって出てくるのが、「文法だけじゃなく、日本の文化を知らなければならない。」とか、「文法よりも、コミュニケーションが大事だ。」というような意見が出てくる。文法はいつだって悪者・邪魔者扱いである。
 しかし、初級レベルの習得を目指す学習者に教えることができるだけの文法の知識を本当に持っているのか、というと、甚だ怪しいものである。
 じゃあ、日本語文法論についての講義を聴くだけで知識は増えるのか、というと、これまた怪しい。
 そこで、前回から4回の授業をかけて、 益岡・田窪の「基礎日本語文法」で扱われている主な文法項目を履修者に振り分け、まずは、益岡・田窪に書いてあることをまとめ、初級を教える際の留意点を考えさせることとした。前回の授業でお手本となるレジュメを示し、文法項目を振り分けた。今日の授業から院生に担当箇所を発表させている。
 この授業、日本語ネイティブスピーカーよりもノンネイティブスピーカーの方が圧倒的に多い。今日の授業で日本語ネイティブスピーカーの院生の一人が、取り立て助詞について、「日本語らしい表現」「日本人のスタイルにあった表現」のように、自分の立場をはっきり示しながら発表した。
 もちろん、そういう面もあるのだけれど、どこがどう日本語らしいのか、どういう点で日本人のスタイルにあった表現と言えるのか、ノンネイティブスピーカーにとっては、謎が深まるばかりである。
 日本語を教える際には、「日本語的」「日本人的」という面を強調するだけでなく、なぜ、そのようなニュアンスがあるのか、それぞれの取り立て助詞の機能から説明することが期待される。
 文法を邪魔者・悪者にするのではなく、よきパートナーとして扱ってほしいものだと思う。

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