「なか卯条件文」というのがあるらしい。
なか卯の券売機で、しばらく操作をしないと「選択が終われば、お金を入れてください。」という音声案内があるのですが、この、「〇〇れば、~してください。」という表現が聞きなれず、毎回違和感を感じてしまいます。 (Yahoo!知恵袋 2017/6/14)
という相談が824回も閲覧され、3つも回答が来ているというのは驚異的なことだ。
また、言語学者のまつーらとしお氏のツイッターでも、
なか卯の券売機「選択が終われば、お金を入れます」って言うという発見(2017/10/2)
と取り上げられている。
長年条件文研究を続けてきた身としては、ここを外したら、二度と注目されることはない、と、ひさしぶりにブロガーを開いた。あまりに久しぶりだったので、パスワードも忘れていて、設定に手間取った。
さて、この「なか卯条件文」だが、これは、現代日本語の文法研究者の間では、そこそこ有名な現象で、「後件のモダリティ制約」などと呼ばれているものの一つである。日本語には、英語のifに相当する条件を表す基本的な表現が少なくとも4つ(「と」「ば」「たら」「なら」)あると言われていて、これらの使い分けが日本語を学ぶ外国人にとっては難しいとされている。
なか卯条件文で問題になっているのは「ば」で、あとに依頼(「〜てください」)命令(「〜しろ」)のような相手に行為を要請するような表現が続くと使いにくいと言われている。なか卯条件文はまさにこの例で、知恵袋のベストアンサーさんご指摘のように、この不自然さは、「ば」を「たら」にかえると解消される。
「選択が終わったら、お金を入れてください。」
じゃあ、常に、「ば」は依頼や命令の文には使えないかと言うとそうではなく、知恵袋のベストアンサーでは、
1.条件節の述部が動詞である
2.条件節の後ろに勧誘・命令・依頼などの意味を持つ文が来る
の2つが重なったときに「ば」が使えなくなると、明快な説明がなされて、これでほぼ網羅されるのだけれど、専門家ぶって、もう2点付け加えておきたい。
🌟まず、1の「動詞」だが、より厳密にいうと、「動作性の動詞」である。「ある」「できる」「わかる」のような動作ではない動詞の場合、「ば」は不自然ではない。受け身形や可能形の場合も不自然ではない。
「わかれば、自分でやってみてください。」「指名されれば、前に出てください。」
🌟それから、条件節の主語と主節(うしろの文)の主語が同じじゃない場合も、不自然さは軽減される。
「山田くんが前に出れば、君はこのままの位置にいなさい。」
「出る」はまぎれもなく動詞なので、動詞であっても、「ば」は命令文に使える、ということになる。さて、これはどう考えるべきか。
なか卯条件文で本質的なのは、「ば」の持つ「裏の条件」という性質だと考える。「わかる」のような非動作性の動詞の例や、「指名される」のような受け身の例では、ともに、「わからなければ」「指名されなければ」という裏の意味が暗示される。「山田くん」と「君」の例でも、「山田くんが前に出なければ」のような裏の意味が感じられるのではないだろうか。「Aすれば」という表現が命令や依頼に使われるのは、「Aしなければ」という裏の条件が容易に設定できる場合であり、その典型的な例が、動詞じゃない場合、非動作性の動詞の場合、あるいは、主語が違う場合、というふうに考えるのである。
さて、この、なか卯条件文のように、うしろに命令文がくる条件文については、Conditional Imperatives(CI)と呼ばれていて、一部の(ごく少数の)意味論研究者の間で、今、熱く議論されている。私もその一人である。というのも、命令文というのは、それが発せられればすぐに行動をしないといけないはずで、それは命令文の遂行的性質などと言われていて、「お金を入れなければならない」などの義務の表現とは一線を画すとされている。ところが条件づけられると、その行動義務は猶予され、遂行性はなくなる。なか卯条件文も、選択が終わらない限り、お金は入れなくてよいわけで、行動義務は猶予される、
遂行的性質を持たない条件付き命令文は命令文じゃないのか。これは、意味論的には大問題なのだが、そんなことより、さっさと、お金はらって牛丼を注文するほうが先だというのも、もっともだと思う。ということで、CIについては、続編で。
0 件のコメント:
コメントを投稿